2013年1月27日日曜日

御旅山火事

御旅山の火事で応援出場となりました。

糸引分団は飾磨高校西側に位置し、消火栓を確保(未使用)。先に到着した白浜分団にホースを延長し、待機。 火勢が収まった19:00過ぎに延長ホースを残したまま一時撤収、御旅山東側(灘中北側)にポンプ車を移し再び待機。 消防小屋には21:00頃に帰ってきました。

10チャンネルの夜のニュースにも取り上げられていました。↓
ここをクリック! 日テレNEWS24
        ※ 動画を見るには「Windows Media Player」が必要です。
        ※ 「Windows Media Player」のダウンロード(無料)はこちらから

2013年 1月27日 読売新聞 朝刊

そして、明くる朝、延長ホースを片付ける予定で、飾磨高校に向かっていた所、上空にヘリコプター発見! おやおや … 悪い予感が…

予感は的中! 山頂付近でまだ燻っている所があるとのことで、御旅山ハイキングコース(北原側)から山頂まで新たなホースを運ぶことに… (*_*;

ところが、夜中の冷え込みで昨日の延長ホース内の残り水が凍って、ホースはバキバキ、思うように送水出来ず、えらい時間のロスに… 

山頂に向かう途中には至る所で樹氷が…\(◎o◎)/! オオッ 寒!

山頂付近は思っていた以上に焼失範囲が広く、あちらこちらで未だ燻っていました。 火元は飾磨高校北側墓地の小屋ということでしたが、強い東風に煽られた飛び火による延焼かもしれません。 

向こう側の岩場に小さく見えるのが白浜分団員です。 わかるかな?(「ヤッホー」)


署に準備頂いたジェットシューターも活躍しました。 こういう時は人海戦術ですね。





11:00過ぎにようやく鎮火。ε-(´∀`*)ホッ クタビレました。

2日間で 50mm、65mm 合わせて30本近いホースを使いました。 山火事の後のホース洗いは大変です。(;^_^A

ホースを火の見櫓に干して、ポンプ車の荷台や吸管を洗って終了です。 参加した団員の皆さん本当にご苦労様でした。m(_ _)m 


林野火災では日没後の消火活動は危険を伴うため、原則行われません。 今回も前日19:00の時点で、一時待機となり、延長ホースはそのままにして、署、白浜分団、妻鹿分団が交替での監視体制をとっていました。

ところが、夜間の寒さでホース内に残っていた水が凍り、朝の活動再開時に送水できないトラブルが発生しました。

ホース内でシャーベット状になった氷は、水圧を上げるとホース表面が凸凹になって送られていく様子が目視で確認できるほどで、傍で見ていて、破裂してしまうのではないかとハラハラしました。 仕方なく圧を下げ、ジョイントを外して氷を追い出そうとしましたが、ジョイント自体が凍りついて外せませんでした。

今回のような冬場のイレギュラーな条件では、新しいホースを延長した方が、結果として早く水を供給できたのではないかと考えます。また、ホースを放置する際も、少なくともホースジョイントは外し、ホース内に水が残らないようホースの折れをなくした状態で伸ばしておくことが大切だと感じました。 今後の教訓にします。

姫路市南東部は湿度が低く非常に乾燥し、火災が発生しやすい状況となっています。 火の取り扱いには十分注意して下さい。


兼田 とんど焼き

兼田で「とんど」が行われました。

とんどは、小正月(こしょうがつ=1月15日)の行事で、正月の松飾りや注連縄、書き初めなどを持ち寄り、一箇所に積み上げて燃やすという、日本全国に伝わる行事です。

糸引地区では、兼田、北原、奥山、継で行われています。

竹で枠を組み立てていきます。


出来上がった枠組みに、あらかじめ作成しておいた「まき縄」を巻いていきます。



正月の松飾りやしめ縄、書き初め等を飾って出来上がりです。


この火にあたると若返るとか、焼いた団子を食べると病気をしないと言われたり、燃やした書き初めの紙が高く舞い上がると習字が上手くなるとも言われます。


その他にも、1年中の身体健康・無病息災・家内安全・五穀豊穣などを祈願しているそうです。

2013年1月21日月曜日

『糸引』 ってどこ?

「糸引ってどの辺りになるんですか?」 他地区の方によく聞かれる言葉です。

「白浜の北側の地域なんですよ」、「灘のけんか祭りで東山がある地域です」… とか説明すると、「ああ、あの辺りね…」って感じです。

白浜、妻鹿、的形、大塩など、今も地名として存在している地区は判りやすいですが、「糸引」と言われても、ピンとこない方も多いと思います。

糸引地区は、姫路市の南東部に位置し、山陽電車の八家・白浜・妻鹿駅の北側、東西に細長い地域で、東から 東山奥山北原兼田 の5地区からなっています。



姫路市立糸引小学校創立百周年記念誌「いとひき」に「糸引」という地名のいわれについての説が記載されています。

以下引用
「糸引」という地名が正式な地名として現れるのは、明治22年(1889年)に市制・町村制が施行され、それまで別々の村だった 東山奥山北原兼田 の旧5ヶ村が一つに合併して、新村名を「糸引村」としてからである。 
では、どうして新村名に「糸引」という名前を選んだのかというと、旧5ヶ村が古来共同で利用してきたものに当地域水田の大部分を潤す農業用水の「糸引井(いとひきゆ)」があり、この農業用水の名を採って新村名にしたと伝えられている。 
なお、この「糸引井」の起源については、神功皇后と八幡大菩薩に関する2通りの伝説が伝えられているが、そのうちの『松原山八幡宮縁起』の中に「大菩薩…三尺ノ糸筋ヲ以テ北原ノ前ニ石ヲ切割リ水ヲ出ス。其ノ水、大海ノ如シ。此ノ所ヲ 糸樋=井樋=ト号ス」とあり、この糸樋(井樋)」が転じて「糸引」となったものと思われる。

一方で、大正14年に発行された『廣辭林(広辞林の前身)』で「絲引(いとひき)」を引いてみると、「阿弥陀佛を礼拝するとき、合掌せる指先より 絲 の如きもの現るという俗説」とあることから、旧5ヶ村が仲良く発展していくこと願い、両手を合わせて合掌する姿を現した地名ではないか… という説を唱える方もあります。(こちらの方がシックリくる?)

何れにしても、「糸引」という名称を冠するのは、今では「糸引小学校」、「糸引幼稚園」、「糸引保育園」、「糸引公民館」、そして「糸引分団」くらいになってしまいました。(まだ、あったかな… (;^_^A )

前述の記念誌は、糸引小学校のあゆみだけでなく、糸引校区の風土や歴史を学べる貴重な資料となっていますので、興味のある方は図書館で見て下さい。

因みに、「卒業生思い出座談会」のページには、糸引分団の現分団長をはじめ、先輩分団長、部長、団員の方も登場しています。みんな若いです! (^_^)

2013年1月6日日曜日

姫路市 消防出初式


姫路市消防出初式が開催されました。

当出初式は、姫路市消防の人員と装備を披露し、住民の皆さんに対する防火・防災意識の啓発と消防職員、消防団員の士気の高揚を図るのが目的です。


場所は、シロトピア記念公園。 姫路城が平成の大修理のため天守閣を見ることは出来ません。天守の下での出初式は、2016年になる予定です。(2015年完成のため)




式典の部は、表彰、表彰、また表彰…(;^_^A 運動不足のおっさん連中は、膝や腰が砕けそうでした。(;´Д`)

幼年消防クラブの園児達は元気いっぱいのマーチングを披露してくれました。

今年の梯子乗りは、飾磨・家島町消防団員の皆さんが、迫力のある演技を見せてくれました。

糸引分団も参加の予定でしたが、昨年消防操法大会に出場したため、免除となりました。ε-(´∀`*)ホッ 下写真の半鐘は、糸引分団所有のものです。(*^^)v




姫路市消防音楽隊とカラーガード隊「シックスマスターズ」によるドリル演奏。

しろまるひめと若手ホープ。

姫路市消防局高度救助隊・特別救助隊によるレスキュー演技。 消防無線の音声が場内に響き、本番さながらの演出に見学している側も緊張感が走ります。



鍛え抜かれた演技に脱帽。m(_ _)m


少年消防クラブ、女性消防団による初期消火演技。 はばタンとしろまるひめも会場を盛り上げてくれました。


最後は、消防局消防隊による一斉放水でフィナーレです。






昨年は、コンビナート火災により消防職員が殉職するという不幸な事故がありました。また、未だ病床の職員もおられるということで、今回の一斉放水は、追悼と回復、さらに消防職員、消防団員の団結を祈念した特別なものとなりました。

2013年が災害のない穏やかな年となりますように…